mkvie's blog

日々の殴り書き

Kindle でますます日本が遠くなる

もう覚えていないほど以前から Kindle ストアにて日本語の書籍が登場するのを待っていた。先日ついにそれが現実のものとなった。

個人的に日本で良いと思っているものはいくつかあるのだが、その中には日本語で書かれた書籍が簡単に手に入るというのがある。日本国外に住んでいてもそのような書籍は苦労して手に入れることができるのだが、例えば日本国内にいる友人に送ってもらったり、自分で直接注文したり、または日本に帰国した際に自分で持ち帰る / 郵送するという、あまりスマートとは言えない方法が多かったように思う (少なくとも私にはスマートだとは映らなかった)。

少しだけ設定に戸惑ったものの、特に問題なく Amazon.co.jp のアカウントから Kindle のコンテンツを購入することに成功。Kindle のコンテンツを読むことができる端末は複数持っているので、そのうちの1つを紐付ける。当分アカウントの統合を行う予定は無い。Kindle Paperwhite はまだ持っていないので、当分は iPad でコンテンツを読むことになるのだろうと考える。このままでは iPad が事実上 Kindle リーダー専用端末になってしまうかも知れないが、それでも良いだろう。私の持っているのは初代の iPad なのだけれど、もしかしたら Kindle Paperwhite も購入してしまうかも知れない。大学の課題はどうなるのだろうか、とこんな文章を書いていて自分でも少し心配になってきた。

コンテンツはまだ万全というふうには見えない。少なくとも「Kindle 化リクエスト」というボタンが該当するページから消えることは当分無いように思える。それでも読みたいと思っていた本が非常に手軽に買えてしまうのは嬉しい (正確にはコンテンツへのアクセス権を購入しているという認識なのだけれど)。Kindle ストアですべての本を揃えようというつもりは私にも無くて、恐らく小説や新書、軽く読める単行本などを中心に購入するのではないかと思う。今のところ紙媒体と比べてそこまで値段に違いが無いように思うが、日本の場合、もともとの書籍価格がそこまで高くないという側面もあるので、それに対して文句を言う前に考えることはあるような気がする。少なくとも選択肢が増えるという観点からは消費者にとって悪い話では無いだろう。

そして私は破産へと一歩、また一歩と近づいていく..。

初雪

まだ10月だというのに、外の風景がいつもより白い。昨夜の気温がそれなりに低かったからだと思うが、どうやら雪が溶けることなく残っているようだ。これからますます風景が白くなっていくのだろうなぁ。

普段から引きこもりがちな生活なのだけれど、これで更にその傾向が加速しそうな予感。友人と食事したり、一人で筋トレするために街中のジムに行くとか? それぐらいしかプライベートで外出する理由が思いつかない。これから更に自宅で大学の課題を行う (時間的な) 割合が増えそうだ。

腕時計の代わりに腰時計

腕時計をつけなくなるようになってからしばらく経つような気がする。

少なくとも (フルタイムの) 学生をしていた頃は腕時計をするのがデフォルトだった。当時は携帯電話も (少なくとも修士の頃は) 持っていなかったし、iPhone も購入しようと考えることは無かった (結果的にその判断は正しかったと思う)。学生をしている時は、案外紙を使った作業が多かったような気もする。

しかし今は状況が違う。iPhone を持ち歩くことがデフォルトだし、なにより職場などで紙を使った作業をすることは殆ど無い。ほとんどの業務がパソコンを介して行われるので、キーボードでの入力を行うのに少しだけ邪魔になる腕時計は (たとえ職場に持ってきていたとしても) 外すことが多い。

しかし時間を確認するのに毎回 iPhone を取り出すのも面倒だ。一方で毎日腕時計をして移動するのも面倒 (というか、自宅や職場に置きっぱなしで忘れたりすることが多い)。どうしたものかと考えていたら、腰時計が解になるのではないかと考えた。

腰時計というのは、私が勝手に考えた名前で、正式名称は知らない。パンツのベルト穴にぶら下がるような時計と言えば、どこかで見たことがあるのではないだろうか。

幸運にも、そんな時計が自宅に転がっていた。以前日本で購入したものなのだが、電池が切れてしまってそのまま放置していたのだ。これは使えるかも知れないと思い、街の時計屋に持って行き電池を取り替えてもらう。電池代込みで 3 ユーロ。お買い得感がある。当然普通に動き始める。

腕時計と違って忘れることは少ないし、iPhone よりも楽に時刻の確認を行うことができるので、今のところ大いに満足している。

クレイジー

私は日本人で、生まれも育ちも日本国内だったりするのだが、「考えてみたらあなたのやってることってかなりクレイジーだよね」とこちらの友人に言われる。彼女は欧州人で、早いもので10年以上の付き合いになる。早いねー。

その10年の間に私は日本と欧州を行ったり来たりしてきた。友人も日本を含む東アジアの国を訪れたことはあるのだけれど、1年以上滞在したことは無かったはずだ。その友人に私の立場を置き換えると、日本語や中国語、朝鮮語を勉強して、現地で仕事を探してそこに住むことを意味するのだろう。

「それってクレイジーだよ」と言われたけれど、確かにそうなのかも知れない。似たようなことをやっている人間は.... 少なくとも周りにはいないか (似たようなことを狙っている友人はいるが、そもそもビザが降りにくい..)。

彼女には10年以上前から「クレイジーだね」と言われている。10年前とは少しスケールが違うけれど、私の原点はそういうところにあるのかもしれない。

人を好きになるという感覚

何十年も生きていると、普通に人を好きになると思う。

私自身が男として早熟だった (つまりマセてた) のかどうかは分からないが、最初に女性を意識したのは小学生の低学年だったと思う。同じクラスにいる女の子で、凄くカワイイ子がいた。今となっては、単に私の住んでいた世界が狭かっただけなのだろうと思うが、少なくとも当時は彼女がカワイくて視界に入っただけで意識してしまっていたような記憶がある。結局その子とは何も無く終わった。自分の想いを伝えることはついに無かったが、その想いをどのように表現すれば良いのか今となっては分からない。

他にも、中学校の頃の先輩を好きになったり、その先輩に告白して振られたとか、そういう思い出はある。しかし最近になると、気になる女性と好きになる女性の違いなどがよく分からなかったりする。

例えば目の前に、とても魅力的な女性がいたとする。彼女との会話はとても面白く、気がついたら数時間ぐらいは簡単に過ぎ去ってしまう。別れ際には、「もっと話したいな」と思う。

これだけ見ればその人のことを好きなのではないのかと考えてしまうかも知れないが、感情レイヤーを含めてその人のことが好きになっているのかとか考えてしまったりする。単に頭の中で「話をして面白い女性 → 魅力的な女性 => 好き(?)」などという都合の良い解釈をしてしまっているのではないか、などと自分で書いていても面倒な処理をしている。あー、面倒くさい。

考えられる一番良い行動というのは、実際に (単なる友人として) 彼女と一緒にいる時間を増やすことなのだと思うのだけれど、お互いそこまでヒマでも無いし、なにより彼女に対して「重い」と受け取られてしまうのが怖い。

..まぁもう十分重いのかも知れないけれどさ。

目の前で人が頭から血を流しながら倒れていた

という話。サンドイッチでも買おうと職場近くのスーパーに行ったのだが、なんと普段私がサンドイッチを選ぶ場所に男性が倒れている。フロアには血も流れていて、一目で事故が起こったのだということが分かる。

私が第一発見者というわけではなく、既に2人の人 (恐らくたまたま通りがかっただけの人) が対応していた。救急車も呼ばれていることが周りの人の発言から理解できる。

倒れたのは中年の男性。服装から、これから職場に行くところだったのでは無いかと想像する。どのような経緯で倒れたのか分からないが (倒れた瞬間には誰も彼を見ていなかったらしい)、息はしているようだったので (後遺症は残るかも知れないが) 死ぬことは無いだろうと考えていた。

しばらくすると救急車が到着する。隊員(?)はやっぱり慣れているのか、適切な質問をしている。私がその場所にいても邪魔になるだけだと考えたので、スーパーを離れる。結局サンドイッチは買わなかった (更に言えば、食欲も消え去っていた)。結局私がしたことは、救急車が来た時に、ほんの少し誘導しただけ。しかしあの状況で、私が他に何かできたとも思えない。

どのような理由で倒れたのかは分からない。単に足を滑らせただけなのかも知れないし、内出血でもしていたのかも知れない。しかしその男性は、恐らく自分が救急車の世話になるだろうとは実際に事故が起こるまで考えていなかっただろうと想像する。「明日自分が死ぬかもしれない」とリアルに想像しながら毎日生活しているなんて人はあまりいないのでは無いだろうか (中にはいるのだろうと想像するけれど、それってかなり大変な人生だと思う..)?

でも人間いつかは死ぬんだよね。死因が事故なのか老衰なのか分からないし、どこで死ぬのかも分からないだろうけれど、死ぬという事実だけはいつでもそこに存在する。多分我々は死を身近に感じる機会が少ないので、普段の生活で意識することも少ないのだと想像する。

いつかは死ぬと分かっているからこそ、今の時間を大事にしようとする。死ぬ直前になって、(もしもそんなことを考えることができるだけの幸運に巡り会えたのであれば) 自分自身の人生を振り返って「色々あったけれど良い人生だった」と言えるようになりたい。そのためには、後になって後悔しないように、その時点でベストだと思える選択肢を選んでいくしかないのだろうな、というのが今の私の考え。

今日見た男性が、今後も悔いなき人生をおくられることを願う。

大学に行ってみる

地元にある大学で日本語を含めたタンデムパートナーを探す会なるものに参加してみる。大学で行われるものなので、当然参加者は殆ど学生だったりする。恐らく主催しているのも学生なのではないだろうか。

それが直接の原因なのかは分からないのだが、とにかくノリが軽いというか、話をしていてどうでもよいことで笑い合う事ができる (殆ど私が笑っていただけという説もあるけれど..)。懐かしいなぁ、この感じ。私自身は特にタンデムパートナーを探すつもりで来たわけではない (というか、働きながら大学にも通ってるし、そこまで時間取れるかとても不安) のだが、こういう場所に顔をだして見るのも良いかも知れないな、とは思った。基本的に現地の言葉と日本語 (と、たまに英語) を織り交ぜて話すだけでも結構楽しい。

その後近くのレストランで夕食を食べていると、先ほどのグループにいた人たちも同じレストランに入ってきた。日本人の留学生も中にはいたので、色々話を聞かせてもらう (私自身も話をしたのでお互い様か?)。

レストランで注文したものが来るのを待ちながら、以前作った肉じゃがなどの写真を見せてみる。どうやら以前にも「夕食を誰かの家で作ろう」という計画はあったらしいのだが、結局計画倒れに終わってしまったらしい。もしかしたら私の自宅でそういうことができてしまうかも知れない (ワンルームの狭い部屋だけど、数人ぐらいが入るのは大丈夫だろう)。そういえばここに越してきてホームパーティーのようなことをしたことはまだ無いなぁ (友人を呼んで一緒に食事などをしたことはあるが、それはパーティーとは違うよね)。大学院の課題などが少し落ち着いたら主催者や出会った人に連絡をとってみるのも良いかもしれない。